祖母を車に乗せると、鴨川を渡るたびに北山の様子を見て「新緑が綺麗ね」、雪が降り積もると「どうりで寒くなったはず」と口にしていました。季節のバロメーターだったのでしょう。祖母は植物が好きで多くを教えてもらいましたが、一つも覚えられませんでした。最近は子どもを自転車に乗せて、動物園や鴨川で遊ぶために二条大橋を渡ります。中ほどで立ち止まって「今日は鳥が多いね」「そろそろ一人で飛び石に挑戦する?」と話しをします。桜が終わり、薄着でも風が気持ちいいシーズンが好きです。
小学生のころまで、御所は私たちの遊び場でした。鬼ごっこをしたり、キャッチボールをしたり。皆んなで木陰に集まってゲームボーイで遊んで、乾電池の残量に苦労したこともありました。当時は出水の小川に入って浸かって、それが大冒険だったのでしょう。隣のグラウンドにある小高い丘から、賀陽宮邸跡にある巨石までが舞台でした。子どもたちを連れて行くと、同じように遊び始めて驚きました。泥だらけになっても許してくれた母と同じように、私も見守ろうと思います。
「皆さんでどうぞ」と渡されると、落ち着いた包装紙に優しい色合いのリボンが嬉しい。箱を開けるとロシアケーキが綺麗に並び、フルーツやチョコが照明を反射してキラキラと光ります。派手な様相でなくとも、その美味しさを知っているから心がうきうきとします。骨董市で見つけた宝石箱を扱うような楽しさとでもいいましょうか。寺町二条にある村上開新堂の店主にお世話になり、お土産や法要のお菓子をお願いするようになりました。いつかは、完全予約制の有名なクッキー缶を食べてみたいものです。
錦市場は京都の中でも有名な観光スポットの1つですが、定期的に通う乾物屋さんがあります。「カツサンドはトンカツ屋さんに。フルーツサンドはフルーツ屋さんに」が私の哲学で、「海苔問屋のふりかけ」は海苔や鰹節など、まさに乾物屋さんの得意分野が詰まっています。ご飯にかけながら、専門店が提案すべき使命感を感じます。お餅やお納豆にふりかけても和風グラノーラのようで食感まで楽しい。美味しさと同時に、ついつい「本業とは何か。お客さまは何を求めているのか」と考えてしまいます。両親の食卓で知り、今では我が家に常備しています。
京都はコーヒーの町と言われるように、大小数多くの喫茶店があります。京都の生活の中で、止まり木になるようなお店が見つかれば、とても幸せなことだと思います。先斗町の北の突き当たりにある吉田屋さんは、同級生の実家が営む喫茶店。学生時代には木屋町で飲むようになり、友人たちとの待ち合わせ場所にしていました。忘年会シーズンはにぎやかな二次会より、温かいコーヒーが心地よかった記憶があります。子どもが頼んだアイスクリームを一口もらい、コーヒーに乗せてフロートにするのがマイブームです。
結婚前、当時付き合っていた妻と行ったのをきっかけに、家族とも友人とも通っています。移転前はコース料理のお店だったのですが、今はアラカルトで多彩な料理を楽しめます。必ず頼むのは、豚や鹿などいくつもの味が楽しめるソーセージ。クリーミーで食べやすい味もあれば、香草豊かで個性を感じさせるものもあり。最近は鮮魚のパイ包み焼きや、鴨モモ肉のコンフィに感動しながら、やっぱりソーセージを頼めばよかったと思っています。
子どもと動物園に行くか、京都市京セラ美術館の展示を見に行くか。休日を岡崎界隈で過ごすとは、10年前の私では考えられませんでした。それだけ岡崎の環境も、私自身も変化があったのだと思います。きっかけは社員への福利厚生のために法人メンバーになったことから、私も定期的に通うようになりました。展示の入れ替えで楽しみにしているのは、新鋭作家を紹介するザ・トライアングル。いつかは現代アートの文脈が読み取れるようになるのでしょうか。日本庭園で過ごしたり、屋上から東山と動物園の賑わいを眺めたり、ここならではの時間です。
撮影:来田猛
読書家の母の影響で、10歳ごろから本を読むようになりました。何フロアもある大型書店ももちろん楽しいのですが、新刊を中心に人が行き交う町の本屋さんが好きです。居心地のよさを感じるのは、祖母に手を引かれて、そんな本屋さんに連れて行ってもらった記憶が色濃く残っているからかもしれません。実は妻と出会った記念の場所でもあり、思い出のためにずっと残ってほしい……というところでもあります。そのために、ここで本をたくさん買わねばなりません。
畑さん自身の幼少期から今に至るまで、家族との思い出と共に、家族で通いたい京都をご紹介していただきました。