良い豆腐屋を知っている人は、その土地のこともよく知っている。
これは私が京都に来て編み出した持論だが、かなりの確率で当たる。好きな豆腐屋を聞いてパッと答えられる大人は、なかなかに粋だし物知りだ。
姉小路通麩屋町、平野とうふは明治39年創業の生粋の豆腐屋。初代の豆腐は北大路魯山人に、2代目は豆腐嫌いだった白洲次郎に気に入られたそう。現在の主人はその味を忠実に守っている。
豆腐、とうふ、tofu・・・表記は沢山あるけど、平野とうふは、ひらがなの「とうふ」。
やわら
かくて、口に出したくなるひびきだ。以下から「とうふ」と書くことにしよう。
名は体を表すと世間では言うが、とうふに関しては体は名を表すなんじゃないかと思わされる。
この世に白色はたくさんある。でもとうふの白ほどやさしい白を私はまだ知らない。きっと色だけでなくて、「もってり・どっしり・ふんわり」、いろんな要素の複合体のような無二の質感からきているんだ。
ここのとうふの材料は、大豆、水、にがり。それだけ。誤魔化しのない変わらない美味しさは、この最低限の材料を変えず守ることと、ご主人たちの仕事への心意気によるものだろう。
とうふ屋のとうふがうまいのは当たり前なのかもしれない。専門店というものが人気を博すのは、「一つだけに絞ってやっています」ということが人の信用にもなりうるからだ。
でも平野とうふには、商売につきまとう胡散臭さや、お金を儲けたいという欲の匂いがしない。
あるのはただ「美味しいをそのまま」のこころと、本当の「美味しい」。それだけ。
とうふ屋へ行くと、自分が買いたいものはとうに決まっていたとしても、少し離れたところからしばらく店を眺めるのが好きだ。
少し薄暗い、独特の匂いのする店に、いろんな人が買いに来る。主婦、仕事帰りのサラリーマン、裕福そうな人、お使いを頼まれたらしい少年。
みんな欲しいとうふをサッと買い、立ち去る。ある人は持参の容器に入れてもらっている。今日もそれだけの数の食卓に、平野のとうふは並ぶんだ。この風景は、ずっと昔から変わらない。きっとこれからも。
仕事中のご主人や奥さんの目の奥に見える、パチパチっとしたなにか。それは、人々のなんでもない日常を、ずっと支えている信念だ。炎だ。
気づかれないように、わたしの目にも少し炎を分けてもらって、家路へと急ぐ。
場所:〒604-8094 京都市中京区 姉小路通麩屋町角289
営業時間:9:00〜18:00
定休日:日曜日
津之喜酒舗
錦市場の真ん中、人々で賑わう酒屋