京都を代表する花屋は?と聞かれたらば、まず一番に花政が思い浮かぶ。
創業は1861年。大政奉還より前と言えばその年月の長さを感じられるだろうか。
明治から昭和初期まではお寺へ備える仏花や生花の師範などへ花材を納める仕事が主な仕事だったが、5代目の藤田修作さんは新たな花屋の形を模索し続けている。
我を通すやり方ではなく、変わり続けるニーズに応じた営業方針だから、ずっと仕事の幅が外へ外へ広がり続けているのだ。
思えば花というものに、私たち人間はずっと依存し続けているように思う。
祝事には花が欠かせないし、人に贈るときなどは花言葉を気にしてしまう。花占いなんてのも馴染み深い。
坂口安吾の『恋愛論』の最後の方に、「恋愛は人生の花であります」という一説が出てくるのだが、花政の作る作品たちをみているとその意味がわかってくる。
花も、恋愛も、育てるには手間がかかる。
なくても生きることは可能だけど、あれば気分が良いし、なんてことない毎日を快活に過ごせたりもする。
あんなに可愛らしい見た目だけど、実は生活のスパイス的存在と言えるかもしれない。
そういうことを数百年担って多種多様な場所へ花たちを運び続ける仕事、まことに格好良い。
昨今はドライフラワーなども多く出回って、花を飾る文化も昔ほどはない。
しかしこの記事からわたしは言いたい。
普段花を飾るなんてしたことがないよ、花のことはわからないよ、という人にこそ花政に立ち寄る価値がある。
自分がそうであったように、花政を訪れたら動かしてこなかった心のうちのなにかが動くかもしれない。
さあ、今日が休みの人、花政に向かってみて。
津之喜酒舗
錦市場の真ん中、人々で賑わう酒屋