新作能「沖宮」 新作能に込められた二人の “遺言”と、つなぎ手の“決意”

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作家・石牟礼道子さん(2018年2月11日逝去、享年90歳)と染織家・志村ふくみさん(93歳)。ともに自然と人間の関係を見つめながら作品を生み出してきた二人は、現代日本への危機感を募らせ、次世代への最後のメッセージを新作能「沖宮」に託すことに。その望(おも)いを受け、志村さんの孫・昌司さんが能公演をプロデュース。能楽金剛流若宗家の金剛龍謹さんがシテを務める2018年秋の上演に向け、着々と準備が進められている。京都から発信する二人の若きつなぎ手に、プロジェクトの契機から継承の思いまでを語ってもらった。

<プロフィール>
志村昌司(しむら・しょうじ)
株式会社ATELIER SHIMURA代表取締役。1972年京都市生まれ。京都大学法学研究科博士課程修了。京都大学助手、英国Warwick大学客員研究員を経て、2013年、祖母・志村ふくみ、母・志村洋子とともに芸術学校・アルスシムラを設立。2016年、染織ブランド・アトリエシムラ設立。

金剛龍謹(こんごう・たつのり)
能楽金剛流若宗家。(公財)金剛能楽堂財団理事。1988年京都生まれ。父・二十六世宗家金剛永謹、祖父・二世金剛巌に師事し、5歳で仕舞「猩々」にて初舞台、10歳で能「岩船」初シテを勤める。同志社大学文学部卒業。

能が表現する、天才芸術家2人の命の共鳴

志村ふくみさんと石牟礼道子さんが東日本大震災の後、互いに切望し実現した対談と往復書簡。新作能「沖宮」にまつわる二人のやりとりも、つぶさに収められている

——「沖宮」は、『苦海浄土』をはじめ水俣を舞台にした文学で知られる石牟礼道子さんが、「最後の能」として書き上げた作品。その能装束を重要無形文化財「紬織」保持者(人間国宝)でもある志村ふくみさんが監修されます。惜しくも石牟礼さんは2018年2月に亡くなられましたが、日本を代表する二人の芸術家のコラボレーションはどのように生まれたのですか?

志村:石牟礼さんと祖母の志村ふくみは約30年前から親交を深めてきました。祖母の草木染めの世界は、柳宗悦さんらが始めた民藝運動が原点。民藝運動は、近代化以前の、素朴な信仰心をもつ人々が作り出した工芸品に美を見出しましたが、祖母はそれを染織で表現したいと思っていました。そして、そんな世界観を文学的に表現していたのが石牟礼さん。祖母はすごく気持ちが通じたようです。逆に石牟礼さんは志村の「色」に憧れがあり、本作の執筆中に能装束を依頼されました。

——そんなお二人の作品が、能で表現されることになります。

志村:能は、本作のテーマでもある「魂の問題」を扱うのに、最もふさわしいと石牟礼さんは考えていたようです。能は見える世界と見えない世界、死者と生者を結びつける場であり、言葉の背景にある精神性や魂を伝えるという点において、最高の表現形式だと思います。

金剛:能は死者の魂を慰める、「鎮魂の芸能」だとも言われます。人間の普遍的な感情をテーマにした作品が多く、私にとっては人間の本質、たとえば愛別離苦の苦しみや四季の移ろい、花の美しさを愛でる気持ちなどが、650年前から変わらないと教えてくれるものでもあります。石牟礼さん、志村さんの表現する世界とも共通するものがあり、今回能という形態で上演されることは意義深いですね。

志村:「沖宮」の舞台は、17世紀の島原の乱後の下天草村。日照り続きの村で竜神への人身御供として五歳の幼女あやが選ばれる。村人は泣きながらひとり小舟に乗せられた少女を見送り、その小舟が沖の一点になったとき、雷に打たれてしまいます。あやが海に投げ出されたときに、亡霊となった天草四郎が出てきて、海底の沖宮に道行(みちゆき)するという話です。

金剛:沖宮とはどういう場所なのか。ある方が石牟礼先生に、沖宮にはどういう人が最終的に到達するかと聞いたら、「あなたも皆いくんですよ」とおっしゃったとか。

志村:命の根源のような場所なのかなとも思いますね。わたしたちの手がける染めは、全部自然の染料、まさに植物の命で染めた色です。植物から作られる染液から、さまざまな色が生まれます。植物の内なるものがこの世に出たとき「色」として発現するんです。

金剛:能においても、「色」は重要な要素です。能装束の色は、登場人物の性格やその演目の世界観をも表現するものであり、物語の内容とも密接に関わっています。だからこそ、志村さんの色の表現が、本当に楽しみです。

志村:ありがとうございます。わたしたちが赤系の色を出すのに使う植物は主に、紅花、茜、蘇芳(すおう)の3種類がありますが、それぞれに意味があります。あやは5歳の設定なので紅花で染めた緋色。天草四郎は「天青(てんせい)」とも呼ばれる、水縹(みはなだ)色。臭木(くさぎ)という植物で染めた、まるで天から下りてきたような青色です。この二つ、緋色と水縹色は石牟礼さんのご指定でした。今日はこの二つの染め物をお持ちしました。

金剛:本当に美しい色ですね。

「沖宮」のために染められた絹糸。鮮やかな発色が美しい。手前が緋色(ひいろ)、奥が水縹(みはなだ)色。

「沖宮」を紡ぎ、その伝統世界を伝承する

金剛能楽堂にて、沖宮に向けた意気込みを語る金剛さんと志村さん。

——能公演は、今年10月から11月にかけて熊本、京都、東京で開催されます。プロデュースを志村さんが行っていますね。

志村:16年に石牟礼さんからお話をいただいて。「応援チケット」で広く寄付を募り、多くの賛同者にも力をいただき、なんとかここまで来ました。金剛さんとは昨秋ご縁をいただき、次世代につなぎたいという想いから、若宗家の龍謹さんにお願いしたんです。

金剛:作品のテーマが素晴らしいものでしたから、ぜひやらせて頂きたいとお受けしました。私自身は残念ながら石牟礼さんにお目にかかれませんでしたが、長年親交のある志村さんが装束を担当してくださることが大きな支えになると思います

志村:金剛さんのご紹介で京都の能装束専門店にご協力いただけたりと、京都という土地が持つ文化、芸術の力にも助けられています。他にはないような濃厚な関係性が、ある種の連帯感を生んでいます。

——お二人は、石牟礼さん・志村さんの「遺言」を受け取って未来へのメッセージを紡ぎ、それぞれ伝統の技をしっかり継いでいこうとされていますね。

志村:「沖宮」には今の社会が忘れている大切なことを気付かせ、わたしたちが今後どうあるべきかを問うメッセージが込められていると思っています。わたしたちの仕事でいえば、植物の採集から染め、織り、着物の仮仕立てまで、全て昔ながらの手仕事です。効率性では機械にかないませんが、人間の精神に与える豊かさがある。だからこそ、教育や私的な空間に、こうした手仕事が活きる余地はあると思っています。例えば、わたしたちは小学校などでワークショップを開いています。春は桜、夏はよもぎと染めていくと「植物からこんな色が!」と子ども達の反応はすごくいい。そこから自然への敬意や命の大切さを体感できます。

金剛:「能の勉強は一生では足りない」と言われるほどで、きちんと観るには確かに時間がかかる。ただ今回の「沖宮」は物語がはっきりしていますし、初めての方も比較的入りやすいと思います。そこでどう感じるかは人それぞれで自由。あやが可哀想だと思う人もいれば、最後の救いに深く感じたり、水俣のバックグラウンドをお持ちの方はそれを投影してご覧になるかもしれません。自分なりの意識をもって能動的に見て頂くと、能は面白くなる。そうして能を好きな方が少しでも増えるように、石牟礼さんの人生が投影された作品に、私も精一杯力を注ぎます。

志村:あらゆる芸術の根底には「悲しみ」があると思います。「悲しみ」は、例えば、悲惨な写真だと生々しさゆえに毎日は見られないけれど、ある種芸術的に昇華した形なら、受け止められる。「沖宮」はまさにそう。今回の公演をお祭りのように一過性のものにしてはいけない。込められたメッセージを、じんわり社会に染み渡らせていけたらと思っています。

——「沖宮」上演が本当に楽しみになってきました。本日はありがとうございました。