北山杉の復興を考える 京都随一の“北山杉”復活への道 対談:ワイス・ワイス 佐藤岳利 × エコッツェリア協会 田口真司
「北山杉」を、ご存知でしょうか?
京都市の北西部に位置する北山の中川集落。この山里で、室町時代からつくられ続ける日本有数の杉であり、産出される木材は「北山丸太」として知られています。
もっとも、ライフスタイルの変化で日本家屋や和室が少なくなり、市場は20分の1まで縮小。林業でなりたつ集落は、危機的状況に――。
その課題解決に向けた「京都館プロジェクト2020」の事業として、昨年10月より大手町の「3×3 Lab Future」を舞台に「世界の京都・北山ブランド」創造ワークショップを開催しました。
そのときの模様を、エコッツェリア協会・田口真司さんと、スタイリッシュな家具作りを地場の製材所に伝授、日本の林業を再起動させているWISE WISE佐藤岳利さんの、オーガナイザーを務めた2人がふりかえりました。
ほのかに見えてきた北山杉復活の灯火、さらには日本企業のイノベーションのヒントにまで、話は深く踏み込んでいきます。
〈プロフィール〉
佐藤岳利(さとう・たけとし)
1964年群馬県生まれ。乃村工藝社にて海外プロジェクトのマネージメント業務に従事した後、1996年にワイス・ワイスを設立。表参道にてオリジナル家具の店舗を、東京ミッドタウンにて暮らしの道具の専門店を経営している。2009年より、国産材、フェアウッドなど環境配慮型の木材調達を中心にした「グリーンプロジェクト」を展開中。
株式会社ワイス・ワイス https://wisewise.com/
田口真司(たぐち・しんじ)
エコッツェリア協会 SDGsビジネス・プロデューサー。エコッツェリア協会による大丸有エリア(大手町・丸の内・有楽町)の交流・活動拠点である3×3Lab Futureの運営をはじめ、イベント企画、各種プロジェクトプロデュースを担当している。
エコッツェリア協会 http://www.ecozzeria.jp/
文=箱田高樹 写真=西村明展
長年、再生を手がけたからこそ出た
「材木の復活? ムリ」の言葉。
田口真司(以下・田口):そもそもは京都市から「京都好きの方々と、京都が誇る木材である“北山杉”の復活を考えるワークショップを『3×3 Lab Future』で開きたい」と、お話をいただいたことがきっかけです。
私が所属するエコッツェリア協会が運営する『3×3 Lab Future』は、環境事業をはじめとする社会課題をテーマに、それにまつわるイノベーションの芽吹きを探す、オープンスペースなんです。
ここでは日々、地方創生関係のイベントなどを開催しています。さらに設備も各地の国産材を使っているので「北山杉の復活を考える」イベントは、親和性の高い環境だったわけです。
―― なるほど。そして田口さんがWISE WISEの佐藤さんをファシリテーターに推薦されたんですよね?
田口:はい。日本各地の林業の現場に付加価値の高い家具作りを提案し、見事に復活させてきた佐藤さんだろうと。
もっとも、佐藤さんは当初は「それは難しい話だ」と一刀両断だったのですが(笑)。
佐藤:そうでしたね(笑)。当初は「“マテリアル”としての北山杉をなんとか盛り上げたい」というお話でしたからね。
確かに地域林業の復活のお手伝いをしてきました。けれど、11年間活動して確信しているのは「素材としての木に寄り過ぎるのは得策じゃない」ということ。いくら「新潟の杉だ」「奥多摩の杉だ」といっても、材木になった時点で素人目には、ほとんどわかりませんからね。
―― 北山杉の復活を目指しても、素材に焦点をあてていたら差別化がしづらいと。
佐藤:そう。だから「それはムリですよ」と。代わりに提案させてもらったのが、木材ではなく、この地の林業と、その周辺で育まれてきた「北山文化」を包括的にテーマとしたワークショップにする、ということでした。
その地に根付く文化や風習や住む人の息吹は、材木よりもずっと個性的で、「そこにしかない」価値がありますからね。
田口:佐藤さんの提案を受け、ワークショップの課題設定を「北山文化のファンをつくる」ことにさせてもらった。そのほうが「こんな素晴らしい北山の地で生まれた木材なのか」「その材でできたプロダクトならばほしい」となると考えました。
―― なるほど。だから3回のワークショップはとても俯瞰的な内容で、バラエティに富んだゲストの方々が登場されたわけですね。
田口:はい。まず第1回目は、基本を知ろうと京都大学名誉教授の金田章裕さんを招きました。北山の歴史的、地理的特徴などをアカデミックな視点で語ってもらった。
佐藤:北山杉は急斜面に密植されており、枝打ち、穂積、下草刈り、磨きといった作業と管理を丁寧にし続けていること。その丁寧な仕事ゆえ、古くから茶室や寺院、さらに数寄屋建築、床の間の「床材」などに使われてきたことなどを、私たちも基礎教養として学べました。
田口:加えて、北山の現場のトップである、京都北山丸太生産協同組合理事長の森下武洋さんにも登壇いただいた。この森下理事長の最初の登壇が、ワークショップ全体の方向付けをさらに明確にしてくれましたよね。
佐藤:理事長は中川の集落にもう代々住み続けて、40年間、ずっと北山丸太一筋で仕事をしてきた人。仕事に誇りを持ちながらも、ここ最近の危機感も人一倍感じていることがひしひと伝わった。現にご自身のお子さんは現実にいま林業を継いでいないですしね。
田口:京都ファン、林業に興味を持たれている方、地域創生の仕事に従事をされている方など多彩な参加者にきていただきましたが、理事長のお話は皆の心をぐっとつかんだ。全体の方向性を定めてくれた気がしますね。
―― 2回目は「全国の地域プロジェクトから京都北山を考える」として、月刊『月刊ソトコト』の編集長、指出一正さんを招きました。
佐藤:はい。北山杉が抱えている課題は、他の地域の林業が等しく抱えているものであり、さらに離島や農村も同様です。ならば、そうした課題を解決、うまくいっている地域やプロジェクトは何が違うのか。誰よりも事例をご存知な指出さんに伺いました。
田口:指出さんには「関係人口」の重要性をわかりやすく説明していただきましたね。移住とも旅行とも違う形で「地域との関わりを楽しみやってくる第三の人口」のことです。
こうした地域とその他の場所の人と人のつながり、心のつながりがうまれることが、真の地域活性化になる。北山もそうした関係性を育むことが肝要だとあらためて感じました。
―― そして3回目は「みんなで紡ぐ、次の600年」というタイトルで最後を飾りました。
佐藤:はい。ゲストは木材産地のまちづくりブランディングを手がける、株式会社古川ちいきの総合研究所代表の古川大輔さんでした。
古川さんは実際に8年前から北山のまちづくりにも携わっていて、最近、地元のメンバーとオリジナルツアーも実施しています。北山林業そのものをひとつの観光資源のようにとらえるトライアルの現状を教えていただきました。
田口:実はこの3回目にも、第1回に参加いただいた北山丸太生産協同組合の森下理事長に参加いただいたんですよね。
佐藤:古川さんとも既知の仲でしたからね。また生き字引のような森下さんの存在、知見こそが、ひとつ大きな北山の魅力そのもので、大げさにいえば彼の存在こそが再生のヒントになった気もします。
閉ざされていたからこそ光る、北山の価値。
―― では、3回のワークショップを通じて見えてきた、北山地域、文化の魅力とは?
佐藤:逆説的ですが「分断」されていることかなと。
―― 分断ですか?
佐藤:ええ。600年もの歴史ある林業地域であり、その独特の歴史や技術が、まるで今という時代から分断されたように、北山には残っている。それは圧倒的に価値あることだと感じました。しかも、その場所が、実のところ京都駅からわずか50分、金閣寺から20分というものすごくアクセスのいいところですからね。
―― そうか。秘境のような場所にあるわけではないですからね。
佐藤:そうなんです。これは1回目のワークショップを終えたあと、実際に現地に行ったときに実感したことでもあります。
いま京都の中心部はインバウンドの力でどこも人でひしめいています。しかし、車で20分も走ると、この重層的な歴史ある林業文化と、圧倒的な杉林が、眼の前にひろがる。これはものすごい価値あることだなと感じました。
田口:そう。実際に足を運ぶと衝撃的な風景なんですよね。
実は十数年前に京都市中心部から北部に抜ける道路とトンネルができた。そのせいで北山は「通り抜けされる」場所になった。結果として、さらに北山杉とその文化が手付かずになったという側面がある。
だから、樹齢500年のシロスギの見事な母樹とか、この地域特有の「台杉」がひろがる風景など、日本はもちろん、世界のどこでも見られないものがきれいに残ったわけです。
―― 「台杉」というのは?
佐藤:一つの台株から数十本におよぶ幹を育ていくとてもめずらしい、もはや北山にしか残っていない杉の育成法です。
1本の木から、何本もの立ち木が伸びていくという実にユニークな形状をしている。それが斜面にうっそうと密生していますからね。インバウンドで海外の方が訪れたら、格好の「インスタ映えスポット」ですよ(笑)。
田口:あとは「枝打ち」ですよね。
太陽光を届けるためにいらない枝を切り落としていく枝打ちの作業は他でもみられる作業。しかし、密生した北山の林では、これを効率化するため、地上に降りずに、木から木へ飛び移りながらするんですね。これも世界中に「見てみたい」という人は多いはず。
―― なるほど。林業を通したユニークな文化資源、観光資源が、実はアクセスしやすい場所に残されていると。
田口:そう。ハレとケの境界が目と鼻の先にある。しかも森下理事長のような、地域にまつわる知見と課題意識を共にもった語り部がいるのも強みだと思うのです。
こうした歴史に裏打ちされた文化や特殊性をうまく外に伝えて、中に呼び込む。そうすれば、本当に北山杉の付加価値を高めることにもつながる。ポテンシャルのある場所だなとつくづく感じました。
「京都らしさ」とは、歴史が人を優しくさせること
―― 一方で、ワークショップを通してあらためて浮き彫りになった課題のようなものはありますか?
佐藤:伝統に縛られてしまい、外に向けてPRしたり、新しい挑戦をしたり、というモチベーションが働きづらくなっているのかなとは感じました。
京都という文化都市の近くでひろがった林業だからこそ桂離宮にも使われ、高名な茶室に使われ、床の間の柱材として最も知られてきた。こうした史実は、他の林業地に比べてもやはり圧倒的で、この地を特別な場所にしてきたわけです。
―― 強すぎる伝統を守るほうに力が働き、新しいことに踏み出す発想がうまれづらい?
佐藤:歴史は長ければ長いほど、先人から引き継いだ遺産の重みは増える。それはそのまま「ご先祖さまに失礼があっちゃいけない」という気持ちが強くなることを指す気がします。
だから「現場を観光資源として活用してみては」と僕らよそ者は気軽に言えますが、伝統を背負ってきた北山の人にしてみたら「とてもそんなことは……」と慎重になるのは当然です。
田口:「なぜ大企業ほどイノベーションが起きづらいか」という話に似ていますね。歴史のある企業ほど、軌道を逸れることに慎重になる。
―― なるほど。伝統の持つ魅力とは常に裏腹にあるものですね。
ところで、KYOTO in TOKYOでは「京都らしさとは何か」という質問を皆さんにしています。それについては、お二人はいかがでしょうか?
佐藤:私は伝統工芸のプロジェクトも多く手がけていますが、京都は歴史と伝統の蓄積が段違いにあります。裏返すと、それだけ保守的にならざるをえないところがあります。
もっとも、その「伝統を守る」という姿勢を京都は守り続けてほしいとも思うんですよ。
田口:同感です。歴史を重ねてきた京都だからこそ、「そこから生まれるモノやコトは“本物”である」というブランドですからね。それは変わらなくていいし、消すべきじゃない。
しかし、ここに他の文化、たとえば他の地域のモノづくりや、知見、アイデアをかけあわせる“かけ算”をすれば「京都のモノづくりの本質を変えないままイノベーティブなこと」ができる気がします。
―― 今回のワークショップの試みが、そのかけ算のひとつの事例につながるとおもしろいですね。
佐藤:そうですね。北山にはいま公衆トイレもなければ、週末にだけ営業する飲食店がたった1つあるだけなんですね。要は外の人を受け入れられるような居場所がまったくない。そうした整備を例えば、私達とのかけ算でできたらいいなと思いますね。
例えば空き家があるのでそこをバーに変える。ツアーで訪れた人がそこでお酒を傾けながら、生き字引である理事長の話を聞けたりね。
田口:いいですね、そのアイディア(笑)。
私は京都にしろ、北山にしろ歴史があるということは「人を優しくする」ことだと私は考えているんです。先人から受け継いだ歴史というのは、あまりに重すぎる。だからこそ「自分だけのものにしよう」なんてはなから思わないし、思えないじゃないですか。
―― 「伝統を引き継ぎ、また次の誰かに引き継がねば」という意識が自然と働くと。
田口:ええ。いわば“贈与経済”が自然に芽生える。今はテイク重視の交換経済がはびこっているけれど、この贈与経済の概念が欠けているから、短期的な成長しかなしとげられず、いま頭打ちになっているという議論がありますよね。
―― なるほど。京都や北山は、そうした今の産業界、経済界がかかえている閉塞感のブレイクスルーのヒントがあるかもしれない。
田口:ええ。「ファストこそ是」とされるビジネスの世界にいる人にこそ北山杉のような「スローな世界」にこそ学びがある。ケーススタディを学べるリアルな場所ですよ。
佐藤:おもしろい。北山杉は30年かけてやっと木が育つ。それでも林業の世界では短いほうですからね。四半期で売上利益を追う人たちには大きな気付きになるかもしれない。いずれにしても、北山杉のポテンシャルは想像以上にある。もっともっとそれを引き出し、残していくお手伝いが、それこそ“かけ算”でできれば、うれしいですね。
―― この先も楽しみですね。本日はありがとうございました。
*対談で紹介された3回のワークショップは、エコッツェリア協会のHP〈http://www.ecozzeria.jp/events/special/〉でレポートを掲載しています。こちらもお楽しみください!