京都の隠れ里② 京都「水尾」のゆず、絞ってみました

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京都の食文化と密接な関係のある水尾の柚子を通じて、京都の食文化を支える地域をより深く知ってもらう「ゆずの里」再発見シリーズとして、全3回でお届けする記事の第2回目です。2018年12月に京都館のれん分け店舗をはじめ15店舗で展開した「水尾の里~ゆずの香りフェア~」で使われた柚子はどうやって栽培され、加工されているのか。
今回は、冬景色に染まりつつある水尾を訪ねました。水尾産ゆずの特徴、ゆず絞りボランティアの様子、そして、取材を通して出会った人たちのお話をお届けします。

▷水尾の里って、どんな場所? ゆず風呂、鶏鍋、清和天皇……。
水尾の全体像を知りたい方は、第1弾の記事 もご覧ください。

ゆず絞りに、恩返しの気持ちを込めて

吐く息が白くなる初冬。
和やかな笑い声と、リズミカルな作業場の音色。
扉を開けてみると、ふわっと、ゆずの香りに包まれました。
京都市・右京区の山奥に佇む「水尾(みずお)」。
国内のゆず栽培発祥地とされている集落で、かつては「日本のゆずといえば水尾」と称されるほどでした。現在も高級食材として、日本料亭や和菓子屋で重宝されています。
そんな、水尾のゆずが収穫期を迎える11月〜12月。最も忙しくなる時期に合わせて、『ゆず絞りボランティア(ゆず絞り隊)』が募集されます。専用の機械を使って、手作業でゆず果汁を絞る体験型ボランティアです。

収穫期にかけて、全4回で開催されるゆず絞りボランティア。作業場に積み上げられたケースには、黄色いゆずがたっぷり。台風などの影響で、表面に傷がついた商品にならないものが中心です。
水尾の名物『ゆず風呂』に浮かべるために使われることが多いですが、その他の活用方法として行われているのがゆず絞りボランティア。絞った果汁と果皮を業者さんに提供し、その売り上げを農家さんに還元しています。

ケースには、各農家さんが代々受け継がれている「ロゴマーク」が印されています。水尾は「松尾」や「辻」など、同じ苗字の人が多いのが特徴。農協に出荷が始まったとき、区別がつくように名前をロゴマーク(屋号)にして印字されるようになりました。今は水尾のゆずは個人出荷のみですが、昔は全国出荷が行われていたことが伺えます。

ゆず絞りボランティアでは、専用の絞り機を使って、手動でゆずを絞っていきます。1回につき2個のゆずをセット。ハンドルを両手で持って、片足をペダルに乗せて、背面にあるでっぱりをぎゅーっと突起部分を押し付けていきます。
コツは、「大きさを揃えること」「強すぎず、弱すぎず、やさしく押し付けること」。最初は慣れるまで大変かもしれませんが、「もっとこうしたほうがいいかも」と工夫したくなってくるので、次第に病みつきになります。

水尾が位置するのは、観光スポットとしても有名な嵐山の左上、愛宕山の麓のあたり。最寄駅であるJR「保津峡駅」から自治会バスで約10分ですが、気軽に訪れられる場所とはいえないでしょう。
それでも、ゆず絞りボランティアは、全4回を通して定員に達する人気ぶり。基本的に一見さんはお断りで、参加するのは水尾が好きな人や水尾に関わっている人。「ゆず絞りを通して、地域に恩返しをする」という位置付けで実施されます。
私たち取材陣が参加したのは、最終回となる第4回目。2人1組の参加者が3チーム、偶然にもほとんどがリピーターの方でした。どのような理由で参加してみようと思ったのか、お話を伺ってみます。

今年の締めくくり、爽やかな香りに包まれて

「ゆず絞りをしないと、年が越せないんですよ」
手際よく作業を進めながら、取材に応えてくれたご夫婦。10年以上前から、毎年のように参加しているベテランさんです。奥様がゆずをセットし、旦那様がゆずを絞る。まるで餅つきをしているかのように、阿吽の呼吸で作業が進んでいきます。
「今年は予定が被っていて、難しいかなと思っていたけれど、来れて本当によかった。この季節に水尾を訪れて、ゆず絞りをするのが1年の締めくくりのように感じられるんです」
水尾でのゆず絞りが、一年の締めくくり。
なんだかほっこりします。

次にお話を伺ったのは、以前、右京区役所の地域力推進室に在籍していた京都市役所の職員さん。仕事で水尾に関わって以来、すっかり水尾のことが気に入っている「水尾ファン」のひとりです。
「水尾のゆず絞りは、手作業ですることに意味があるんです。大企業がゆずを回収して、工場で絞ったほうが効率がいいかもしれません。でも、こうやって、人の手でつくることが大事だし、それが水尾らしさだと思います。とはいえ、高齢化で地域の担い手不足は深刻。私が出来ることは限られていますが、水尾の活性化や存続につながることは、これからも応援していきたいですね」

最後に伺ったのは、嵯峨美術大学OBの2人組。地域おこし関連の団体に所属していたとき、水尾に何度も足を運んでいました。今回、水尾に帰ってきたのは約3年ぶりなのだそうです。
「学生のときは、毎週のように水尾を訪れていました。美味しい空気はもちろんですが、ここに暮らす人たちのあたたかさがとても大好きで。久々に帰ってきましたが、いい意味でなにも変わっていなくて、改めて素敵だなと感じています」
大学時代には、休校中の水尾小学校を活かしてマーケットを開いたり、映画の上映会を開いてみたり。いろんなことにチャレンジするなかで、次第に水尾の人たちに惹かれていったと振り返ります。

お話を伺っているうちに、用意されていた70ケースは空っぽに。最初は大変そうだなと思っていましたが、さすが、ベテラン揃い。本来であれば午後も作業の続きをする予定でしたが、なんと、午前中に全てのゆずを絞りきってしまいました。「今までで一番ペースが早かったと思う」と、参加者の皆さまも驚かれるほど。流石です。

他の産地となにが違うの? 香り高い水尾のゆず

たっぷり絞った、70ケース分の絞り果汁。
使い道について尋ねてみると、果汁はリキュールの原料として、果皮はお菓子やオイルの香りづけに。その他、本来であれば、種を粉にすると腎臓に効果を期待できる薬にもなるそうです。捨てるところがないんですね。
 ここで、水尾のゆずが持つ特徴について深めてみます。
そもそも、ゆずの生産地と聞かれて、みなさんはどこを思い浮かべますか?
きっと、多くの方が最初に高知県を挙げると思います。生産量・出荷量共に全国1位。お隣の徳島県も有名ですよね。でも、昭和45年までは、「ゆずの全国出荷していたのは水尾だけだった」という事実をご存知でしょうか。
詳しいお話を伺ったのは、松尾 史弘さん(以下:松尾会長)。ゆず農家さんであり、水尾特産品加工組合の会長さんでもあります。第1弾の記事では、水尾の旅先案内人としてご登場いただきました。

「昔は日本全国だけでなく、台湾まで出荷していた記録も残ってる。それほどまでに貴重な食材やった。市場で一番高いのが水尾のゆずで、1個700円もした時代もあったらしいよ」
1個700円もした時代がある……!
驚きですよね。
水尾産ゆずが持つ特徴のひとつは栽培方法にあります。水尾では、種からゆずの木を育てる「実生(みしょう)栽培」が主流。「桃栗三年、柿八年、柚子の大バカ十八年」という”ことわざ”があるくらい、果実が成るまでに18年もの歳月がかかります。その代わり、爽やかな甘みがあり、とても香り高いのが特徴的です。
また、水尾にあるゆずの木は、樹齢推定100歳〜200歳。鎌倉時代、花園天皇が初めてゆずの種を植えて以来、大切に育てられてきました。松尾会長は、「ゆずの味は育った歳月で違いが出る」といいます。
「樹齢が若いうちは、やっぱり味わいも若い感じがするよ。まだ、コクが出てないっていうんかな。深い味わいがない。でも、ゆずの木は50年くらいで成長が止まるんですよ。そうすると、味も落ち着いてくる。100年、200年と経ったものは、年月を重ねた分だけの深みやコクがある気がします」

水尾のゆずが持つ味わいについて、さらに深めてみましょう。お話を伺ったのは、ゆず果汁を回収していた『キンシ正宗株式会社 』の田中 明さん。江戸時代の天明元年(1781年)、京都に創業した200年の歴史を誇る老舗の酒屋さんです。

キンシ正宗さんが製造しているのは、水尾産のゆず果汁を使ったリキュール『柚風 』。年間で1万本ほどしか販売されていませんが、とても人気の高いお酒です。
「あくまでも個人的な感想やけど、その他の産地のゆずは、製造工程で時間が経つと薬っぽい香りに変化してしまいます。でも、水尾のゆずは、1日、2日経っても風味が消えない。それだけ、香りが強いっていうことなんやと思います」

日本酒のソムリエ「唎酒師(ききざけし)」の肩書きを持つ田中さんのご意見。とても説得力があります。ゆず絞りボランティアに参加した皆さんからも、次のような感想がありました。
「水尾のゆずは、料理に使うと主役になる」
「とにかく香りがすごい! 」
「甘みがあるし、料理に使っても香りが負けません」
水尾のゆずが市場に出回ることはほとんどありませんが、地元でつくられている加工品などを手に入れるチャンスはあります。ゆず果汁がたっぷり入った「柚子しぼり」、お肉料理などにおすすめの
「ゆず塩」など、見かけたときは是非とも手に入れてくださいね。

水尾のゆずを囲む笑顔

最後に、ゆず絞りボランティアを通して出会った人たちのお話をお届けします。まずご紹介したいのは、水尾自治会が運営するバスの運転手・竹花 秀一さん。
以前は大阪のバス会社で運転手をされていましたが、2016年に水尾へUターン。「運転手の代わりを探している」と誘われ、水尾に戻ってきました。現在は、朝3本・夕方2本、JR「保津峡駅」と水尾をマイクロバスで結んでいます。

「大阪でバスの運転手をしていたときと大きく違うのは、雇われているという感覚がないこと。雇われていると、なかなか言い出せないことってあるやん。意見を伝えても、採用されなかったり。そのうち、なにも言えなくなる。でも、水尾に帰ってからは、そんなことを一切感じなくなった」
誘われた当初、二つ返事で答えられなかった竹花さん。でも、今は戻ってきてよかったと、生き生きと仕事について話します。
「例えば、時効表をもっと見えやすくしたほうがええなとか、もっと分かりやすく説明したほうがええわとか、僕自身が疑問に感じたり、改善すべきだと思って伝えたアイデアが、どんどん形になるのがおもしろい。うん、地域のために仕事ができているって感覚があるよ。めっちゃ楽しいね」

地域のために仕事ができる。
そんな、竹花さんのよき相談相手になっているのが元井 雄大さん。大津市の市民活動センターに勤めながら、週末には水尾のボランティアとして活動。ゆず絞りボランティアの運営にも深く関わっています。

地元の人よりも、水尾に詳しい人。
そう紹介されることが多いという元井さん。例えば、水尾に秘められた歴史について、「水尾のゆずがなければ、京料理にゆずが添えられていなかったかも」と教えてくれました。
「水尾のゆずは、京都とのつながりがあってこそです。冬の京料理にゆずが添えられていることが多いですが、それは、国内唯一のゆず栽培地がすぐ近くにあったからなのだと思います」
その他にも、「ゆずの名産地・高知県 馬路村にある実生の木は、もとを辿れば水尾の苗木かもしれない」「平安時代、水尾は貴族にとって隠居の地だった」など、掘れば掘るほど、おもしろそうなお話がでてきます。

元井さんが初めて水尾を訪れたのは、大学院時代に所属していたゼミのフィールドワーク。高校時代を海外で過ごしていたこともあって、水尾から望む里山風景がとても美しく、印象深く心に残ったそうです。また、水尾に暮らす人々との出会いもありました。
「ちょうど、地域を盛り上げるための計画を考えるタイミングで水尾を訪れたんです。小さな集落ですが、水尾を未来に残す本気度、熱量がとても高くて。頑張ろうとする人たちがたくさんいたことが、僕が水尾に惹かれた理由であり、ボランティアとして関わる熱源になっています」

現在、水尾の人口は25世帯44人まで減少(平成30年11月1日時点)。このままでは地域の状態を維持するのが難しくなり、実生ゆずの木を守る人がいなくなってしまうと危惧されています。今後、水尾を未来につないでいくには、どうすればいいのでしょうか。
「今回のゆず絞りボランティアのように、日帰りで来てもらえるきっかけを増やすことが必要だと思います。水尾の人口はとても少ない。一度にたくさんの移住者が増えたとしても、受け入れる側が困ってしまいます。答えはありません。ただ、僕個人としては、水尾で生まれた人たちが、帰る場所、帰りたいと思える場所にしたいという気持ちで活動しています」
水尾とつながる、きっかけをつくる。
その取り組みのひとつとして、「最近、農家さんからゆず畑を借りたんですよ」と元井さん。一緒に管理している友人の大熊 晋さんの案内のもと、収穫前の畑を見せていただきました。

「水尾やゆずの魅力を伝えたい」と、身近な人を迎え入れている大熊さん。皮に傷がつかないように、手で覆うように、やさしく摘み取るのが大事だとレクチャーもしてくれました。
ゆずを見上げながら、「来週は市内の小学生が収穫体験に訪れる予定なんです」と嬉しそうに話す大熊さん。水尾でのゆず収穫体験や、元井さん、大熊さんをはじめとした水尾の人たちとの出会いは、子どもたちの思い出として深く残るのだろうなと感じます。

水尾に暮らす人。
水尾のゆずを楽しむ人。
そして、水尾を未来に紡ぎたいと思う人。
実生の木にゆずがゆっくりと成るように。
水尾に訪れた人たちのつながりは、ゆるやかに育まれています。